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摂津国八十八箇所巡拝14日目
2005年9月10日(晴れ)

今日は何も無い土曜日になったので、久し振りに巡拝をしました。昨晩家内と地図を調べ半日で巡れる吹田市方面と淀川をまたいで同じような位置関係にある城東区方面を巡りました、車で移動しましたが市街地のお寺が多く、車での移動は大変でした。

   大日寺

当寺の創建は古い、弘仁年間(814〜24)弘法大師が巡錫のみぎり、鴫野の地にやってきたところ難産に苦しむ一人の女性に出会った。その女性は子供を生むのは女性としてうれしいが、難産のため困っている事を告げて救いを求めた。そこで大師は世の女性の難産を除くために、一刀三礼の子安大日如来を自ら刻んで安置されたのが、当寺の草創と伝えられている、今日も子安の大日さんとして熱心な信仰を得ている。

 
                                     山門の中まで車を入れさせて頂きました
       

   常光圓満寺

天平7年(736)行基菩薩が不況のために諸国を巡っていた、ある日夢の中に牛頭(ごず)天皇が現れ「吹田に聖なる香木がある」と告げた。吹田へ行ってみるとお告げどおりに一本の香木が打ち上げられていた。当時の吹田は白砂青松の海岸だったのである、今の吹田では海岸だった事は想像できにくい環境になっています。行基はその香木で聖観音菩薩を彫刻し、その場所を聖地とし堂を建て、香木の聖観音菩薩を本尊として祀った。吹田で最初の寺であり、布教道場となったこの堂は浜辺に建てられたので、人びとは「浜の堂」とよんだ。 

  

  
本尊は秘仏でお前立ちでお姿がしのべます       境内には修行弘法大使像がまつられています 
  
境内には西国三十三箇所観音像がまつられています 本堂周囲には釈迦像などの彫刻が解かされています 

   圓照寺

当寺は天台宗延暦寺座主の慈覚大師(円仁)が文徳天皇の勅願を受けて開かれた寺、その寺領は丁度万博記念公園の太陽の塔付近にあった本堂を中心に4キロ四方に広がり、寺域内の山や岡には数多くの寺坊があったという。室町時代中ごろまでは栄えていたが、応仁の戦火によりその寺坊のことごとくを失ってしまった、徳川時代の始めになってようやく時の領主や信者により再建され、現在見られるような姿に整えられた。昭和45年に新築再建された本堂には、ご本尊の千手観世音菩薩のほか、大阪府の重文に指定されている日光・月光菩薩などがまつられている。

   
                                 小高い岡の上にあり石段を登ると山門本堂へと続く
   
 本堂には千手観世音菩薩がおまつりされている  両観音菩薩像は大阪府の重文に指定されている
   
 奥の院準胝堂には準胝観音菩薩がまつられている    境内には弁天様や大黒様もまつられている

  佐井寺

当寺はかって七堂伽藍と六十余院を有する公家恒例の御読経道場二十一大寺中の髄一で有った事が、今から800年前の鎌倉初期の記録である「拾芥略要抄」にみえる。佐井寺という地名ににもなっているように、この地域の中心的な役割を果たしていたに違いない。当時の歴史は653年に25歳で入唐し、玄奘三蔵に親しく師事して法相の数学を学び、8年間の在唐ののち帰国した道昭法師によって草創された、道昭法師は奈良の元興寺に禅院を建て、その後、諸国を巡錫して民衆の福祉を進めた僧としても知られている。

   
                     山門への道がわからず裏門へ到着気をつけないと素通りしてしまいそう
   
 境内は広くは無いがしっとりとしたお寺だった
   
 本堂には十一面観音菩薩がまつられ薬師如来堂に摂津国八十八個所のご本尊薬師如来がまつられている

  金剛院

縁起によれば、その昔はるか北方に紫雲たなびくのを見た行基菩薩が奇端を感じて当地にやって来ると、忽然と老翁が現れ珍菓を差し出してこういった「我の大士を待つことすでに久し、今幸いにし嘉遇す。ここは四神相応の霊場なり、急いで伽藍を建立し、仏の無上妙法を演布して国民を救済せよ」と。こうして創建された寺名は、老翁の差し出した珍菓の味がこの世のものとも思われなかった事から、放光山味舌寺と号された。それが何故、蜂熊山蜂前寺と称する様になったのか。鎌倉時代の初頭、1100年代官軍は戦いに敗れ敵軍に追われて当寺に逃げ込んできた。お堂のすみに息を潜めていると、目の前にクモの巣にとらわれてもがく蜂の姿があった。「わが命運はすでに尽きた。せめてこの蜂を助けて善根を施す事にしよう、薬師如来よ、ご加護あれ」と蜂を逃がしてやった。そこに敵の大軍。すると山内の林の中から幾万という蜂が現れ、敵軍を撃退してしまった。あとには無数の死体が残されていたという。同時に戦死した蜂を集めて、ねんごろに供養したのが、今も本堂裏に残る蜂塚(五輪塔)である。その後も同じような事が起き、ご本尊・薬師如来への信仰はますます深まり、この不思議な蜂の出現に、いつしか人びとは蜂熊山蜂前寺金剛院と呼ぶようになった。 

   
 
    
行基菩薩が刻んだと言われる薬師如来がまつられる本堂
    
護摩堂にある不動明王立像は大阪府の重要美術品に指定されているとの掲示
    
 ここのご住職は尼さんとの事ですが、立派な方でお留守が多いようです(お墓参りにこられていた方に聞く)
そのようなことで納経所前には集印差し替え用がおいてありこれを頂いて帰りました、境内は比較的
広く整備されていました。 

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